皆さんは毎日を「楽しく」過ごしていますか?
多くの「仕事」「学業」「やらなくてはいけないこと」でいっぱいいっぱいになり、気づいたら1ヶ月、1年が終わっていることはないですか?
僕は物心ついた頃から、毎日「習い事」(計10個)をしていて、遊ぶ暇がありませんでした。
大人になっても、周りから「遊んでる暇があったら・・・」という「呪いの言葉」をずっとかけられ続けてきました。
「頑張ること」が正義であり、「遊び」は悪として育ってきました。
僕の周りにも「努力・苦痛=正義」「遊び・喜び=悪」として、毎日を楽しめていない人がたくさんいるようです。
この1週間あえて仕事量を減らし、考えを整理する時間を作ってみました。
今回から3回に渡るシリーズは、そこから自分が気づいたことを以下の流れでシェアしていきます。
- 「毎日を楽しむことが出来ない人」の3つの精神
- 「人生を楽しんでいる人」の3つの特徴
- 「毎日を楽しむ人生へ」3つのアクション
僕と似たような境遇にいる人が、いかに「毎日を楽しめる」ようにしていけるか。
その「初めの1歩」を示せたらと思います。
それでは第一回「毎日を楽しむことができない人」が共通して持つ「3つ精神」に関してお話ししていきましょう!
①「後で楽しむために、今頑張ろう」の精神
社会心理学の権威Geert Hostede の研究に、日本人は「今頑張って、それが終わったら楽しもう」という精神を持つ人が多いという結果があります。
「後で楽しいことをするために、今(つまらなくても・嫌でも)頑張ろう!」
この考え方は「今やること」のモチベーションを上げるうえで、重要な考え方です。
倹約家の日本人にとっては、「美徳」とも捉えられることでしょう。
しかし、問題なのは「後で楽しいことをする」の『後』の時間設定が異常に長い人が多いのです。
この時間設定が、その人が「毎日を楽しく過ごせるか」に大きく影響してきます。
「このセメスター終わったらXXXしよう(それまでは我慢だ)」
「このプロジェクトが終わったらXXXしよう(それまでは我慢だ)」
「この1年が終わったらXXXしよう(それまでは我慢だ)」
これらを見ると、楽しいことをするために「我慢している時間」が長くないですか?
言い過ぎかもしれませんが、これを続けていると、人生ほぼ「我慢する時間」で終わってしまいます。
でも、我慢して頑張ったら、100%それができるという保証はあるのでしょうか?
最近、僕が読んだ樺沢紫苑先生の本に書いてあったのが、ある二人のお話でした。
ある大企業の社長さんは、引退後に「アメリカのルート66を車で走破する」という夢がありました。
しかし、この方は79歳で引退後、83歳で亡くなってしまいました。
1ヶ月もあれば、ルート66を走破することは簡単にできることらしいのです。
お金も地位も獲得した方が、こんな簡単な夢も「先延ばし」することで、叶えることが出来ず、亡くなってしまったのです。
また、「60歳で引退後に老後を楽しもう」と思っていた方がいたそうです。
その方も退職後にすぐ、63歳で重度のアルツハイマー型認知症になってしまい、心から老後を楽しむことが出来なくなってしまったそうです。
このように楽しみを「先延ばし」をすることで、それを永遠に叶えられなくなることが、事例としてたくさん存在します。
それに、我々は30代後半くらいからどんどん体のあちこちに健康面での影響が出てくるようになります。
いつ自分が病気や事故に遭うかもしれない。今までできてたことも、急にできなくなる可能性も大いにあるのです。
それに、今回のコロナでロックダウンなどもあったように、いつ環境的に動けなくなることが起こることだってあります。
結果、「後で楽しもう」の『後』が永久に訪れないことだって普通にあり得るのです。
それで人生ハッピーでしょうか?
②「遊びは悪いこと」の精神
「遊んでる暇があったら〇〇しなさい」
僕も「遊んでる暇があったら、勉強しなさい」と、幼い頃から言われてきました。
大人になってからも「喋ってる暇があったら手を動かしなさい」という職場で働いたこともあります。
これを読んでくれている方で、「そんなことする時間があったら・・・」と上司やパートナーなどに言われている人はいないでしょうか?
僕はこの『遊びは悪いこと』というマインドセットがずっと刷り込まれているせいで、「雑談」すら時間がもったいないと思ったりすることもあります。
向かいのオフィスにいるルーマニア人の先生も、会うたびに「コーヒー行こうよ!」と誘ってくれます。
「うん、そうだね!今度行こう!」と言いながら、行かずに2年ほど経ってしまいました。
今の職業・職場的に、それをすることは全く問題ありませんし、誰に注意されることもありません。
しかし、僕にとって「仕事をすべき時間にコーヒーを飲んで雑談をする」という行為は「遊び」であり、「それはいけないもの=サボっていること」として刷り込まれているため、なかなかこの「コーヒー1杯」に辿り着かないのです。
また、スケジュールに「空き」があるときは、「休んでいる」=「悪いこと」と感じ、どんどん違う仕事やプロジェクトを入れてきました。
結果、どんなに頑張っても回らなくなり、「仕事のために仕事をする」という環境から抜け出せなくなり、疲れやすい体と心を引きずりながら仕事をし続けるようになりました。
でも、遊んだら本当に仕事ができなくなるのでしょうか?結果が出せなくなるのでしょうか?
別の回でお話ししますが、実は「遊ぶこと」と「生産性」にはポジティブな相関関係があるようです。
それに、「遊び」がないと、人は壊れやすくなります。
服を作るときには「遊び」や「ゆとり」という部分が必ずあるらしいのです。それがあるから、服に何かしらの力がかかったときに破れないようになっているようです。
いつもパツパツにスケジュールや仕事を入れて「遊び」や「ゆとり」のない人生を送っていると、何か新しい負荷がかかってしまったとき、対応できなくなり、すぐに壊れてしまいます。
一度壊れてしまうと、心も体も修復に多くの時間とお金を要するようになってしまいます。
それで人生ハッピーでしょうか?
③「周りが頑張っているから」の精神
周りの人たちを見て「自分も頑張ろう!」とモチベーションが上がるとき、「周り」の環境はプラスに働きます。
しかし、これが「同調圧力」としてネガティブな影響を及ぼすとき、我々の生活や人生を蝕みます。
最近は職場改革などで少しずつ変わってきてますが、日本人で昔から多いのが、「帰りたいのに周りの人たちが帰らないから残業する」というもの。
ここ数年だと「コロナワクチン接種」も似たようなものでしょう。
「周りがするから自分もしないといけない」
僕も仕事をする上で、この同調圧力に悩まされてきました。
僕の場合、ワークホーリックの先生方が周りにめちゃくちゃ多いです。
彼らの話を聞いても、昼夜問わず週6〜7働いている人が多いです。
(「類は友を呼ぶ」とあるように、僕が知らず知らずのうちにそういった人たちとやりとりをしているかもしれませんが)
彼らの仕事っぷりを見ていると、「僕も遅れをとってはいけない」と焦りを感じ、休める時間を持てるはずなのに、そこを仕事で埋めてしまう。
一方で、彼らが休んでいるときは「休んでいいんだ」と思い、心置きなく休める(基本年末年始の1週間くらいしかありませんが)
僕も、完全に「同調圧力」に支配されています。
結果、自分が「遊ぶ」ということを「良し」としない生活・人生を送ってしまっているのです。
そして先述のように「いつか楽しもう」の「いつか」を迎えることのないまま、1年が終わり、定年が過ぎ、という形になっていくのです。
それで人生ハッピーでしょうか?
この1週間考えた末、これら3つの問いに対して出た結論は「NO」でした。
さいごに
今回は「毎日を楽しむことが出来ない人の3つ精神」と題し、なぜ我々が仕事ばかりで毎日を楽しめないのかということに関し、僕の例とともにお話ししてきました。
これらを読み解いていくとわかることがあります。
自分の毎日・人生を楽しくするのも、つまらなくするのも「自分次第」であるということ
今回挙げた「3つの精神」を知らず知らずのうちに持っているということを理解し、日々の「行動」を変えていく。
それが自分の人生を豊かにする第一歩だと思いました。
誰の人生でもありません。あなたの人生です。
それを仕事で終わるもよし。遊びを入れて充実させるもよし。
一番大事なのは、自分が「楽しい」と思える毎日を過ごしていけること。
それを目指して、僕も「意識」と「行動」を変えていきたいと思います。
今まで仕事一本の人生で、やったことのないことです。
でも、これを読んでくださってる方で、似たような境遇にいる方、自分の生活を変えていきたいと思う方は、僕と一緒にやってみましょう!
今日も皆さんにとって「楽しい一日」になることを願っています!